今日は学生時代にお世話になった久米ナナ子先生を大学で見かけて立ち話。あれからもう8年も経つ。
学生の頃に履修した『自由研究ゼミ』という授業は、パフォーマンス作品の制作と鑑賞者の生理学的反応を計測するという二本軸で構成されたもので、複数の担当教員の一人が久米先生だった。その後2006年には表参道ヒルズの再生棟、ギャラリー同潤館で先生の個展「久米ナナ子展・意識のながれ」のために「音楽をつくってみない?」と学生だった僕を誘っていただき、友人たちとチームで音楽を担当した。
あれからもう8年も経つ。ユリシーズのジョイスや、ヴァージニア・ウルフのことを教わったあの頃。ジャンル横断的なものや総合芸術にすでに関心をもって取り組んでいたが、「構成」への志向がずっと強かったし、音色よりもハーモニーとかモチーフ操作など論理的な作業に取り組んでいた。
即興を通った今は「無意識」をもっと多面的に捉えられるようになった気がする。
柴崎友香さんがゲストのポッドキャストを車内で聞きながら帰宅。違う土地に暮らすことで相対化して見えてくる街の表情。ふむふむ。
WINDS CAFE主宰者の川村龍俊さんからいただいた文庫、森有正『思索と経験をめぐって』で“経験の二重の層ができる”という表現に共感したのだけど、それを思い出した。オランダで暮らしたことで相対化できた日本という地域。帰国後も名古屋と相模原の2都市で活動することで、(あるいはその移動するという時間を持つことで、)経験がそれぞれの場所で重なりながらも影響しあうような感覚をもっている。
同じ場所に戻ってくることで自分の変化をより確認することができる。時間の経過とともに、変化しているのはその場所もだけど、自分自身の視点や感覚の変化がその場所の印象を変えることも大きい気がする。そして表層と深層がともに変化していく。
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